Time is life

毎日笑って過ごします^^

元フランス王妃、最後の部屋で思うこと

先日、あさこさんの過去ブログにお邪魔すると、、、はっΣ(・ω・ノ)ノ!
昔の私と同じことを思っている人がいるっ!!
リブログさせていただきました。ありがとうございましたm(_ _)m



まだ20代の頃、遠藤周作氏の「王妃マリーアントワネット」を読んで、マリーが処刑される直前まで過ごしていたコンシェルジュリーを見たいと思いました。
当時は身軽な独身OLでしたからね( ̄▽ ̄)
友人と一緒にフランス旅行を計画し、行きました。


マリーアントワネットが最後に幽閉されていたのは、牢に閉ざされた更にその奥にある独房で、
質素なベットと机と椅子が置いてあるだけの小さな部屋でした。
明かりとりの窓はありましたが、暗く、湿気の多い空気が重苦しかったです。
もとは牢獄ではなく、逃亡を企てたマリーを急きょ隔離するために用意された場所とのこと。
逃亡を手助けしたと思われる身の回りの世話をしていた者たちと離され、話す人もおらず、ロウソクの火もない部屋に1人。
石の部屋は日が落ちると真の闇になったことでしょう。
季節も寒くなる季節に入っており、身にも心にも冷たかったと思います。


処刑されるまでの約1ケ月半、マリーはその部屋に1人幽閉されていました。
37歳というまだ若さの残る年齢が彼女を生き永らえさせたのでしょうか。
日光にも当たれず、運動不足の上に衛生状態も栄養状態も悪い環境。
処刑直前には、目はほとんど見えず、下血を繰り返していたので常に貧血状態で足元もおぼつかなかったそうです。


オーストリアの女帝、母のマリア・テレジアが、王宮で贅沢三昧するマリーを案じ、王妃としての自覚を持つよう促す書簡を何通も送っています。
その母の言葉を思い出したかどうか。
恵まれた出自と容姿、帝王学など学ばず、「従順に夫に仕えるように」とフランスへ嫁がされた14歳の少女は、愛らしく活発で勉強嫌い。
残された資料や記録には偽のものも多く、中には、書簡を鑑定していた鑑定士が小銭を稼ぐために偽造した書簡まであるそうですが、それでも、王妃という立場を自分の楽しみのために浪費していたマリーが、王家が危機的状況になってからは王族としての矜持を持って様々な困難に対峙していた様子がみてとれます。


死刑執行人の足を踏んでしまい、謝ったという逸話も「眉唾」という説が高いようですが、
そういった逸話が生まれるほど、処刑場で人の目にさらされて連行されるマリーが落ち着き払って、優雅で、貫禄があるように見えたということなのでしょう。
もしかしたら、夫に続き、王妃としての威厳を皆に見せるため気力を振り絞ってその最期の瞬間を迎えようと強く決意していたのかもしれません。


マリーが断頭台まで連行される最後の肖像画が、現在ルーブル美術館に所蔵されています。
ペン一本で描かれた素描のような絵で、それまで描かれたきらびやかで彩色豊かな肖像画とは一線を画した作品ですが、キリッと頭をあげた横顔には王族というよりも人としての尊厳のようなものが感じられます。



ほんの1週間ばかりの観光で、宮殿も美術館も何もかもが巨大すぎてカメラにも納まらず、心の中にも納まりきれませんでした。


当時、時間切れで行かれなかったモン・サン=ミッシェル。
自分で歩けるうちに訪れたい、ナンバーワンの場所です。
その際に、パリももう一度、今の年齢の自分の目で見て歩きたいです。


それにしても、運命というのは動き始めると個人の力ではどうにもできない強大な力を持ち、思っても見なかった方向へ人々を飲み込んでいくものですね。
現代の日本も他人事ではありません。
心して、色々と見極めなければと思います。



当時のアルバムから。写真は整理しましたが、この旅行を含め、数冊のアルバムは捨てられずにそのまま残してあります(^^;;;
左写真の牢の奥にマリーの収監された部屋がありました。これ以上はシャッターを切る気になれず(--;;;
右写真はコンシェルジュリー内部です。一度入ったら、二度と生きて戻ることができなかったため「死の監獄」と呼ばれていたそうです。




ここまでお付き合いくださった方、いつも来てくださる方もありがとうございましたm(_ _)m