Time is life

毎日笑って過ごします^^

続く戦後

先日、旦那君が実家へ顏を出した際、
義母が郵便局へ「年金を下ろしに行く」と。


ゆうちょ銀行に自分たちの年金が
振り込まれているのかと思いきや
戦争で亡くなった義父兄の遺族年金が
「特別弔慰金」という名で支給されていたそう。


調べたら、
額面25万円の記名国債で
年間5万円、償還5年で交付されていました。
それの受け取りだったようです。


おそらく戦死した方の親世代は
もうほとんどがご存命ではないでしょう。
配偶者やお子さんはまだいらっしゃる可能性が高い。


義父のお兄様は独身だったようなので
両親、上の兄弟たちが亡くなった時点で
義父に相続が発生し、
受取人になったものと思われます。


義父のお兄様は沖縄で戦死されています。
沖縄の平和祈念公園に
平和の礎という刻銘碑があり
昔、私たちが沖縄へ旅行した際、
自分の代わりに手を合わせてきてほしいと
頼まれたことがありました。


まだ小さかった娘たちを連れて
お名前の彫ってある碑を探しました。
夏の暑い日でした。
たくさんの碑が並んでいました。
無事にお名前を見つけることができ、
家族で合掌。
義父に見せるのに刻銘碑の写真を撮りました。


また、介護のお仕事の際、
被ばく手帳をお持ちの方のお世話をしたことが
何度かあります。
「屋根が半分吹き飛んだ家の
 屋根のある側で家族よりそって寝た」とか
「のどが渇いたのに飲める水がどこにもなくて
 雨が降ってきたと思ったら不気味な黒い雨で」
とか、
昭和40年生まれの私にとっては
教科書や本の中で知るようなお話ばかり。
皆さん、淡々と話されるのが印象的でした。


もうすぐまた8月が巡ってきます。
世界各地、なかなか戦争は無くなりません。
異国の戦いが早く終わることを願うと同時に、
日本がこの先も「ずっと戦後」のままで、
戦前、戦中になどならないよう
強く祈念致します。



私の実家のぶどう。実が膨らんでいました。
戦中、子供だった父は東北へ疎開していたそう。
「食べるものもあまりなく、
 家族から便りもなく(複雑な家庭だったので)
 辛くて寂しいだけだった」と。
母は戦争の記憶なし。



犠牲になられた多くの方々のご冥福をお祈り致します。



ここまでお付き合いくださった方、いつも来てくださる方もありがとうございましたm(_ _)m