Time is life

毎日笑って過ごします^^

今までの「普通」が「普通」でなくなる怖さ

銀座の時計店で白昼、強盗事件が起きましたね。
今朝、初めて映像を目にしました。
ドラマか映画のようで、現実感がなかったというのが正直なところです。
これ、本当に日本の銀座の白昼に起きたことなの? みたいな。


以前、娘と銀座三越に入った時、
何気なく覗いたショーケースの時計が「600万円」でした。
恐れおののいて、それ1つだけ見て早々に退散しました(^^;;;


襲われた店も1つ数百万する時計が何個も売られていたとのこと。
そういう時計を日常使いできたり、投資目的で購入できる人たち。
「普通」の自分とは住む世界が違うという認識でいます。


以前は犯罪を犯す人たちも、「普通」の自分とは違う世界に住んでいると思っていました。
「普通」に属している人が事件に巻き込まれてしまうことはあるけれども、
犯罪を犯す側は、自分が住むテリトリー内にはいない、と。


それが、最近では、富裕層はやはり別世界の人たちのままですが、
犯罪を犯す人たちは「普通」に隣にいる感じになってきました。


10代や20代のまだ若い人たちが実行犯になる。
その子たちは、どういう背景があって犯罪に手を染めるほどのお金が必要だったのでしょう。


生活に困窮していた?
学費を自分で支払わなければならなかった?
家族の支援もなく放置される存在だった?


切迫した事情だったら、そういう若者を生み出さないための社会作りが必要ですし、
そうではなく、ただ単に遊ぶためのお金欲しさに割のいい「バイト」に手を出したのであれば、
それが先々どういう影響をもたらすのか教育に力をいれて教えなければなりません。
ゲームのようにリセットしたら全て無かったことになる、という魔法はこの世に存在しません。


皆が飢えることなく、勉強や遊びに集中できて、安心して暮らせる社会。
私が生まれた昭和40年代以降はそれが大多数の層の「普通」だったと思います。
令和の時代、もうそれは「普通」ではないのでしょうか。
だとしたら、どうしたら良いのでしょう、、、。
子供たちが笑って過ごせる社会であってほしいです。



お散歩道のアジサイ。もうすぐ開花。



ここまでお付き合いくださった方、いつも来てくださる方もありがとうございましたm(_ _)m