Time is life

毎日笑って過ごします^^

震災の夜のおでん

娘Bから「おでんが食べたい」とリクエストがありました。
ちょうど気温も下がったので、夕食はおでんにしました。



おでんを作ると思い出す日があります。
2011年3月11日、東日本大震災の日です。


当時、私はまだ介護職にはついておらず、近所の学習塾のお手伝いをしていました。
塾の日は帰宅が遅くなります。
あの日は今にも雨か雪が落ちてきそうな寒い日で、おでんを仕込んでから出かけました。


14時30分過ぎ、教室に小学校低学年生たちが集まり始めたときにドンッと大きな地響きがしてビルの上にある教室が激しく揺れました。


先生が本のたくさん入ったキャビネットを体全体で押さえ、
私は呆然としている子供たちを「机の下、机の下にもぐってーっ」と机の下の押し込みました。


一度おさまったと思った揺れがもう一度来た時、ブツッと音がして電気が消えました。
首都直下型の地震か、関東圏のどこかが震源だと思ったほどの揺れでした。


先生が父兄たちへ連絡するため教室に残り、私は子供たちを連れて避難場所にもなっている近所の小学校へ向かいました。
娘Bはそこの小学校の5年生でした。


小さい子たちの誰も泣いたり騒いだりせず、全員を迎えに来ていた父兄か担当学年の先生方に引き渡すことができ、代わりに娘Bを引き取り、心配していた娘Aもほどなくして帰宅できました。


我が家の周辺は停電したきり夜になっても復旧しませんでした。
ご近所のご夫婦が仕事先から帰宅することができず、娘Aと同い年の息子さんを1人預かりました。


カセットコンロでおでんを温めながら、作っておいて良かったと心底思いました。
ロウソクと懐中電灯の明かりで食べましたが、今思うとテレビでニュースなどの映像を見られなかったのも良かったと思います。
大人は私1人で子供は3人。
何かあったらとにかく避難所に行こうと思いながら食べました。


食事の途中で、旦那君が帰宅したときには体の力が抜けるほど安堵しました。
歩いて帰ってきたそうで、電気のついている区域とついていない区域ではまったく風景が違っていたとのこと。
電気のついている地区では普通に美容院が開いていて、髪を切っている人がいたそうです。


電気は日付が変わる前に復旧しました。
唐突に明かりが煌々とついて部屋を照らしてくれた時には涙が出そうになりました。


あれから12年。忘れられない日です。



ところで、おでん。
我が家は昆布、かつおぶしの他に出汁に鶏手羽先と玉ねぎを入れます。
銀座のおでん屋さんに「味に深みとまるみが出る」と教えてもらいました^^



ここまでお付き合いくださった方、いつも来てくださる方もありがとうございましたm(_ _)m