人は生まれる前から不平等
今朝、珍しく朝の時間にムラゴンさんへお邪魔しました。
最近は自分の記事にniceしてくださったところへお邪魔するのが精一杯だったので、
今日は読者登録をしている方のところへポチポチとお邪魔させていただくと、、、
数件目に拝見した記事が大変悲しい内容でした。
おそらく書くのもお辛かったと思うのですが、
コメントなどもついていたのでお知らせくださったのかと。
母の胎内に宿ったのに、会うことの叶わなかった命。
他に言葉が見つかりませんが、心よりお悔やみ申し上げます。
人だけではないかもしれませんが、命は生まれる前から不平等ですね。
性別も、肌の色も、国籍も、生まれ落ちる環境も、体の形すら選べません。
生まれるかどうかすら天運に任されている。
昨日読んだ本が瀬尾まいこさんさんの「傑作はまだ」でした。
養育費だけ渡して一度も会わずにいた25歳の1人息子が突然居候としてやってくる。
戸惑いながらも彼との生活に馴染み始める中年の作家は、
話の流れから、悲しみや不条理に向き合う機会を与えるのも小説の意義だと言います。
それに対して、息子は、
自分の人生に起きる悲しみだけでは足りない奴は、総合病院の小児病棟へ行けばいいと反論します。
「胸がちぎれそうな悲しみも、神様がいないっていう現実も、自分の無力さも嫌ってほど感じられるから」
生まれてすぐ病気になる子がいる一方、往生するまで医者いらずで過ごす方がいます。
皆が望んで待ち焦がれていても、生まれることすらできない子がいる一方、
命がけで生まれてきても、棄てられたり手をかけられずに放置される子がいます。
学校に行っても、靴すら新しい物を買ってもらえない子がいる一方、
高額のスポーツシューズを何足も揃えてもらえる子がいます。
頑張って勉強して名のある大学へ入って引く手あまたで就活をする子がいる一方、
同じ大学同じ学部であっても時代のタイミングで100社回っても正社員になれない子がいます。
自分1人の力ではどうにもできない何か。
運とは何でしょう。
一度は母の胎内で育まれた命。
次は愛する家族の腕に抱かれる形で実りますように。
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