Time is life

毎日笑って過ごします^^

「生きている」とは?

介護職の同僚に会ったところ、体調の悪かったお義母さまに胃ろうを増設することになったと。
担当医の勧めに、旦那様とご兄弟たちが同意したそうです。


胃ろう。
口から物を食べるのが難しくなった場合に、胃に小さな穴をあけて管を通し、管から直接栄養を補給する方法です。


介護のお仕事をしているときに、胃ろうの方を多く拝見しました。
私が関わった胃ろうの方々はほとんどが寝たきりで意識のない方が多かったです。
いつお邪魔してもずっと眠っているような状態で、呼吸のリズムやお顔の色が日によって違う程度。


登録のヘルパーさんの中にそういう意識のないお客様ばかりを選んで仕事に入る人がいました。
ベテランのヘルパーさんで、自分の倍以上体重がある方でも、エビのように丸まったまま体が固く拘縮している方でも、素早く排泄介助や清拭、着替えができる技術を持った方でした。


彼女が意識のない重篤な方の身体介護に入る理由はただ一つ。「面倒でないから」。
寝たきりで意識がない方は当たり前ですが、文句を言うことも痛みを訴えることも泣き落としてヘルパーを引き留めることもしません。
何度か彼女と同行しましたが、意識がなくても声をかけながら手際よく手を進め、「じゃあ、また来ますねー」とサクッと退室します。
その流れるような動作が、同じ寝たきりでも意識がしっかりしていて口も達者な方だと何だかんだと言われてペースを乱されるので嫌なのだそう。


ドライな考え方ですが、ヘルパーの誰もが行きたがらない早朝でも深夜でも、それこそ真冬でも真夏でも連日の朝夜でも条件さえ合えば「いいですよ、行きますよ」と快諾してくれたので何度も助けてもらいました。
ある意味、自分のスタイルをもったプロだったのだと思います。


人として「生きている」状態とはどういう状態を指すのか。
ヘルパーさんに「面倒がない」と言われてしまう状態は人として「生きている」といえるのか。


おそらく、胃ろうを選択した友人の旦那様やそのご兄弟たちは自分たちの決断で医師から勧められた「延命措置」を断ることができなかったのでしょう。
延命を断ることとは、すなわち 死を受け入れるということです。


私の両親は2人とも「自然のままで延命はしないでね」とつねづね言っています。
それでも、いざというときに残された片方が「このまま逝ってほしくない」と迷ったり、弟たちが延命を希望したらどうでしょう。
「もう充分だよね。何もしないでこのまま見送ろう」と自分はきっぱりと言えるかどうか。
意識が戻る可能性がどのくらいあるのか。
少しでも「ある」と言われた時にどちらを選ぶか。
医療が進歩したからこその悩ましい選択です。


介護職の友、「これからが長いよね。覚悟するよ」と言っていました。
胃ろうであっても意識があり、会話や入浴、たまに口からの好きな物を召し上がるなど、ご本人が楽しめる状態だと良いと願います。



娘B、突然、「サーモンのカルパッチョが食べたい。作る」と。



綺麗だけれど、、、夕食前に作ったのはこれ一品(^^;;;
冷凍庫にあったチキンとエビでカツ、生野菜、味噌汁、補充しました、母(--;;;



ここまでお付き合いくださった方、いつも来てくださる方もありがとうございましたm(_ _)m