Time is life

毎日笑って過ごします^^

ノンフィクション「母という呪縛 娘という牢獄」

年末に、益田ミリさんのご本を再読。「お母さんという女」という本です。
旅やエッセイ、女性の日常を描いて大人気のミリさんですが、私は彼女の著作の中でもこの本が大好きです。
再読してほっこり、ほろりとしているところへ新刊の情報が。


益田ミリさんではなく、お名前を知らない作家さんでした。



齊藤彩さん。「母」つながりでしたが、タイトルからして不穏です。


母という呪縛 娘という牢獄
母という呪縛 娘という牢獄
講談社
Digital Ebook Purchas


国立大の医学部に9浪した末に、母を刺殺した娘のノンフィクションでした。


父とは長年別居状態で母と2人暮らし。
強権的態度で娘を縛り付ける母親との生活は「こんなことあるの」「なぜ」と思わざるを得ないほど恐怖と緊張と支配に満ちたもので、母親が死亡してしまっているため、「なぜ」の部分は解明されないものの、「こんなことあるの」という部分は、娘が助けを求めた学校の先生や別居中の父親の証言、母親とのメールでのやりとり、母親のスマホに残っていた写真などで裏付けされていきます。


子供は親を選べません。
親も子供を選べません。
それでも、「育児」という過程で大きな影響を与えるのはやはり圧倒的に親の方でしょう。


爆発的な憎しみでもって娘に命を絶たれた母は娘にどんな思いを抱いていたのか、何を求めていたのか、どうなってほしかったのかを他者に語る機会をも永遠に奪われてしまいました。
また、加害者となった娘は、10代、20代という若い季節を母によって束縛され続け、今また30代という年代を刑務所の中で全うするよう罰せられました。


殺害を否認しつづけた娘が、一転、殺害を認め素直に自供するに至ったきっかけや過程がこれからの彼女の光と思えるところが唯一の救いです。


著者が最後の謝辞で、被害者の冥福と加害者に新しい人生が開かれるよう祈念しています。
私自身もそれ以外の言葉が出てきませんでしたが、こうして一つの悲劇が書籍という形をとって世に出ました。
同じような悲劇が、どうか繰り返されませんように。
そのためには、やはり家族という形態がその中だけで固く閉ざされ、他者の介入を許さない状況にあったときにどう第三者が関わっていけるのかが鍵となるでしょう。



家族で赤坂の日枝神社へ。我が家の初詣は、毎年こちらの神社です。
なぜならば、旦那君と私が結婚式でお世話になった場所だからです^^
例年通り、破魔矢とお守りをいただいてきました。



皆様にも良い風が吹きますように。



ここまでお付き合いくださった方、いつも来てくださる方もありがとうございましたm(_ _)m